生産者紹介

東北ブロック ブロック長 酒勾 徹 氏                        
自然農園 ウレシパモシリ 代表
酒勾さんの農園「ウレシパモシリ」。そこにあるものほとんどが手作り。自然の偉大さ、人間の強さ。全ては用意されていて、自分がどう活かすか。その自然の中に立つと、そんなことを考えさせられてしまいます。農園の名前はアイヌ語で「この自然界そのもの」。


酒勾さんは「そのもの」を体いっぱいに感じ、今日も自然に向き合っています。


■この自然界そのもの……
 山道を登り少し入ったところに酒勾さんの農園はあります。その名はウレシパモシリ。アイヌ語で「この自然界そのもの」という意味です。あらゆる命ある生きものが番身近で自然との共生を豊かに実現していた人々の社会に存在する、多くの命の『つながり』が感じられるような農園を創っていきたい……という酒勾さんの願いが込められた農園で暮らされています。


 まわりの環境と調和した持続可能な生活圏の実践をして、酒勾さんは歩まれてきました。 大学を休学して農家に住み込み、卵の販売などを行っていました。25歳のころから病院にいったことがないくらい元気な方です。


 そんな酒勾さんは、ニュージーランドでパーマカルチャーに出会います。日本においても、日本の伝統文化を活かしてライフスタイル全般の自給自足をする!と志して、今に到ります。そして岩手に帰り畑を借りて、一から積み上げてきました。


■一から手作り
 酒勾さんのご自宅。自分で立てたというからすごい!  岩手県花巻市の酒勾さんの家にたどり着くと、最初、なんともいえない趣のあるたたずまいの家が迎えてくれます。ブリキの煙突が突き立っていて、いかにも薪を炊いている様子が伺えます。大工の見習いをしていたこともあって、ご自身で家も建てたそうです。その話をきいて、スタッフ一同、驚いてしまいました。水はもちろん井戸水です。


■次世代につなぐ
 開墾中の自然農園ウレシパシモリ  そんな酒勾さんの農園。ウレシパシモリは生活全般の自給を目指しています。日本の伝統文化を再発見しながら……。豚や鳥を飼い、田畑を開墾してきました。


 1993年前に開墾を始めた畑。山を切り崩し、原野を開墾してきているので、土としては、まだまだ厳しい土です。作物を育てていくのには、見た感じで厳しさを感じます。しかし、山肌の土が露出した部分を指して、酒勾さんがいいます「開墾当初の土はこんな感じだったんだ。それがここまでなったんです!」
 思わず目頭が熱くなってしまいました。この人の歩みは、20年を越えて土に届き続けています。2005年より自然栽培をはじめ、土作りを続け開墾し、次の世代につなげていこうとする姿勢が素敵でした


■ハンノキからのメッセージ
畑の脇に立つハンノキ。稲のおだがけに使われた。チッソ固定能力もあるという。  畑の脇には、ハンノキという樹が植えられていました。昔から田んぼの脇に植えられていた樹だと酒匂さんがいいます。この畑も、以前は水田でした。だから水はけも悪く酒勾さんは、苦労をなさっていました。このハンノキ。昔から植えられる樹ですが、この地方では、田んぼで刈った稲を干すときに、使ったそうです。ちょうど、樹の枝のところに横に棒や竹を渡して、稲を干したのですね。

 今の季節は、日が上から当たり、樹の葉もしげっているから光があたらないけど、秋になるとちょうどいい西日になって、ハンノキに稲を干すと光があたるんだよ。昔の人は良く考えるね。と酒勾さんがいいます。また、ハンノキには、チッソ固定といって、空気中の窒素を固定する力もあり、原野の土にはまたまたあっていると、酒勾さんは考えています。

こうした原野に近い場所で、稲科のヒエや麦、ゴマなどを植えて、長い年月をかけながら土を良くして行こうとしている酒勾さんの背中が印象的でした。


■さまざまな実践
 足を田んぼに運ぶと、ここでもさまざまな実践をされていました。3枚ある田んぼの一番上、山側にはため池をつくり、その水で田んぼの水を補っています。
 田んぼにはササニシキと陸羽132号という品種が田植えを終えたばかりの状況でした。陸132号は早生品種で、ササニシキより1週間早く育ちます。肥料のない環境にあっていて、イモチ病に強く、冷害にも強い。イモチ病は自然栽培でも残存肥料の多いところや、土の地力のあるところでは、出やすい病気です。


酒勾さんの美しい自然栽培 田んぼ 田んぼに立つ酒勾さん

あまり草の目立たない自然栽培ササニシキのたんぼ 除草剤を使わなければ、除草が大変なのが田んぼ。しかし、酒勾さんは、秋の田んぼの土を起こす自然栽培でも定着しつつある方法と、チェーンを使って稲の株間を除草する方法で、除草対策も行っていました。1反300坪で30分しかかからないというから、ずいぶんな省略除草です。今から今年の秋の酒勾さんの田んぼが、楽しみです。

また、酒勾さんは地域の方々とともに、自然栽培のそば作りにも取り組んでいらっしゃいます。


■この人たち……
「この人たち」と酒勾さんが呼ぶ豚さんたち。ほとんどにおいがしなかった。  畑を見て家に戻ってくると、今度は豚とニワトリたちに合うことができました。

 びっくりするのが、ほとんどといっていいほど、豚や家畜特有の強い臭気がしないことです。近づいてみると、籾殻が厚さ1メートルくらいしかれています。そして酒勾さんいわく、この人たち(豚さんのこと)は、清潔好きだから、トイレは決まった場所でするんだよね。そして籾殻ときっちりかき混ぜる。そして、もみがらにミミズが涌いて、それをまた食べたりしているんだよ。山にも少し、自由行動できる場所があって、そうするととっても元気に育つ。だから抗生物質というクスリやホルモン剤を使って、豚を育てる必要がなくなるんだ」

 この人たち(豚たち)のあまりにもおとなしく、人懐っこい姿にみとれてしまいました。そのとなりには、ニワトリがいました。ホシノブラックという固定種です。このニワトリで、卵から雛をかえして、抗生物質を使わずにニワトリを育てることにも、酒勾さんはチャレンジしようとしています。もちろん豚さんたちの糞を畑に使うことはありません。


■自らまかなう。生きるということ。

まわりの環境と調和した、持続可能な生活圏の確立を目指して取り組んできました  こうして、みてみると、その生活全般で、経営を考え、可能な限り、自らまかなう姿勢からは、とても刺激的なものを感じました。酒勾さんからは、今後、穀類や麦、蕎麦を使ったうどんが届いています。これからの酒勾さんの取り組みがますます楽しみになりました。そして自らの生活の中で、可能な限り自然なライフスタイルを実践していくその積み重ねの大切さを感じた訪問でした。

 農園のモットーである「循環と共生に満ちた空間での自然も人も搾取しない暮らし」。その大きな循環は、岩手の山の中から世界に発信されていることでしょう。

■ 酒勾 徹 氏からのメッセージ 
 私は、まだまだ自然栽培の経験年数も浅く、技術的に貢献できることはそれほどないような気もしています。しかし若い年代の新規就農希望者に自然栽培の価値や魅力を伝えることは体験も踏まえてできるのではないかと感じています。大震災と原発事故による様々な問題を、東北は抱え続けています。

 特に放射能に対する不安はつきません。しかし、放射能への不安や恐れから原発をやめるのではなく、原発に依存しない社会の方がみんな幸せになれる。そういう前向きなヴィジョンのもと、選んでいくことが大切だと感じています。
 
自然栽培の普及においても、農薬や肥料への不安や恐れから解放される解決策として選択するだけではないと感じています。肥料にも農薬にも頼らずに育ってくれた作物達のいのちの輝き・生命エネルギーを喜びとする生産者と生活者。双方の『歓びの連鎖』が未来に向かって力強くつながっていくことを心から願っています。